いつからお墓を建てていたか
お墓は、私たちの心をいやしてくれる場所でもあります。では、いつごろから、お墓を建てるようになったのでしょうか。
日本での埋葬の始まりは、縄文時代初期をいわれています。当時の遺跡から埋葬された人骨がでてきたからで、死者の手足を曲げて埋葬されていました。その形が胎内での赤ちゃんと同じ姿勢であることから、母なる大地へかえすという信仰的な意味があると考えられています。
その後は、現在のように身体を伸ばしたままの埋葬法で、土を掘り、遺骸を植物で覆う風習や簡単な石塔をおくものもみられました。
弥生時代になると、お墓として区画をはっきり定めたものや、のちの古墳につながる土を盛った墓も見られるようになります。また、遺骨を木棺に安置する方法も生まれ、北九州では大陸から伝わったと思われる箱式石棺、支石墓なドガみられます。
古墳時代になると、死者の霊が死後も別世界で生き続けるという考え方から、実用的な生活用具も一緒に埋められました。代表的なものとして、前方後円墳があり、なかでも仁徳天皇陵は、最長部分が500メートルにも及ぶ巨大なものです。
火葬のはじまりと中世のお墓
大化の改新のころから、土葬だった埋葬に火葬が加わります。火葬はもともとインドから中国へ、そして仏教伝来とともに我が国に伝わります。持統天皇や文武天皇も火葬されたと伝えられ、奈良・平安時代になると広く普及していきますが、庶民の間では土葬が一般的でした。
平安時代後期になると卒塔婆が建てられるようになります。卒塔婆は梵語のストゥーパの音に漢字をあてたもので、もともとは「釈迦(仏さま)」の骨を埋めて、その上に記念の為に建てた搭」という意味でした。
日本では死者を追善供養するためにお墓の上に建てられるようになりました。
鎌倉時代には、木製から石塔になります。おもな石塔としては、五輪塔、宝篋印搭(ほうきょういんとう)、多宝塔(宝塔)、無縫塔(むほうとう・卵塔)などがあり、はじめは供養塔的な目的で建てられた石搭も、しだいに墓塔的な性格が強くなります。
そして、個人のお墓を示すようになり、角柱形の墓石へとつながります。角柱形の墓石は、石の板に文字などが刻みやすいためで、江戸時代には庶民の間にもひろまりました。
正しいお墓の作り方