五輪塔って何?

五輪塔にはこんな意味があった

五輪塔

墓石(墓碑)の形はじつに多種多様です。

一般的な長方形の和型墓碑(三段墓)、公園型の霊園で多く採用されている洋型墓碑のほか、個人的な趣味墓などもあります。

歴史的にみると、鎌倉時代から室町時代にかけて、お墓の一大ブームを作ったのが五輪塔でした。

五輪塔

これは、真言宗の開祖である空海が、森羅万象の要素である、空・風・火・水・地という五大要素を形としてあらわしたのが、五輪塔だというのです。その後、真言宗中興の祖といわれる覚鑁(かくばん)が、「五輪塔のお墓は亡き人を成仏させ、極楽往生させる」と説き、それを高野聖とよばれる多くの密教の念仏僧が全国に広めたため、当時のお墓の多くが五輪塔になりました。

鎌倉末期以降では、武家階級のお墓にもとりいれられ、源頼朝のほか、武田信玄や豊臣秀吉なども五輪等をお墓としています。

五輪塔は、上から宝珠形(空)、半月形(風)、三角形(火)、円形(水)、方形(地)の五つの石を組み合わせたお墓で、初期のものは、梵字で、空、風、火、水、地と書いていました。

庶民の間でもお墓を立てる

洋墓

わたしたち庶民が、お墓を建てるようになったのはいつごろでしょうか。

そのきっかけは、江戸時代に入り、徳川幕府によって檀家制度がつくられてからです。庶民はかならずどこかの寺院の檀徒になることを義務付けられ、勝手に宗派を変えることも禁止されました。この制度をきっかけに、支配階級以外の人たちもお墓をもちはじめたのです。

江戸中期以降は、生活が安定してきた町人など、庶民も墓石を建てるようになります。こうしてお墓はかつての信仰的・供養的なものから、個人の追善供養的な性格を持つようになりました。

そして現代、核家族化が急激にすすみ、それにともなって、先祖代々の墓地を離れて、自分たちの墓地を求めるようになりました。墓地の需要も増加し、宗旨や宗派を問わない公共墓地の霊園も次々と生まれています。

現代にあった墓地のスタイルかもしれませんが、そうした時代だからこそ、家族の幸せや繁栄を望む、正しいお墓づくりをする必要があると思います。

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