お墓とは人生の終着駅
ふだんは縁遠いと思われがちなお墓ですが、近親者がなくなると急に身近で切実なこととして迫ってきます。最愛の夫、妻、あるいは子ども、さらには親や友人を失うことは、だれにとってもつらく悲しいことです。
しかし、いくら悲しくても、すべてを投げ出してしまうわけにはいきません。死者をそのままにはしておけません。お通夜から葬式の手配まで、やるべきことはたくさんあります。
そして、それらをすべて行い、最後に遺骨をお墓に納めることで、わたしたちは近親者の死という現実を正面から受け入れることができるのです。
生命あるものは、いつか死が訪れます。そのことはわかってはいても、尊現実に直面した時、私たちは動揺し、自分自身を納得させる何かを求めます。その一つがお墓なのかもしれません。
人間が最後に行くところはお墓です。ある意味で、お墓とは人生の終着駅であり、その人の生きてきた証しでもあります。そしてすべての人がいずれお世話になるところなのです。一方、生きている者にとっては、亡くなった人と出会える場所でもあるのです。
考えてみたいお墓の意味
かつて、お墓は死者を封じ込めるためのものでした。
昔の人は、生きている人間と同じように、死者にも意思があると信じていました。死者の身体から離れた霊は、やがて人間にわざわいをもたらすと考えていたのです。
ですから、供養するという儀式も、死者の身体から離れたばかりの、わざわいをおこすだけの霊をしずめ、なぐさめようとしたのが、そのはじまりだったようです。
お墓のはじまりは石を置くだけのものでしたが、これも石で悪霊が身体から飛び出さないようにしたものです。つまり、古代の墓石は、死者のたたりを封じ込めるためだったのです。
しかし、時代は流れ、お墓の形も完成されたものになり、死者に対する感覚も変わってきました。お墓を死者のたたりを封じ込めるために建てるという人などまずいないでしょう。
むしろお墓は、亡くなった人たち(先祖)との対話の場所と考えるようになりました
。
多くの人がお墓まいりをすませた岐路には、清々しく、心が洗われたような気持になり、その時ばかりは敬虔な感情を抱くようです。こうした習慣は、過去から現在へ、そして未来へと受け継がれてほしいものです。これを機会に、自分にとってお墓とは何か、もう一度見つめなおすことも大事なのではないでしょうか。
正しいお墓の作り方